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たのしいソビエトモータースポーツ(フォーミュラ編)

私の記事はどうも小難しく全体の流れが掴めないと評判なので、本当は最初に書くべきだった全体の流れを各カテゴリごとに確認していきたいと思います。なおここではかなり大きな影響を与えたマシンしか紹介しないので、あとは私のブログやussr-motorsportなり英Autosportフォーラムを眺めてみてください(人任せ)。最初のフォーミュラと言えるのは、恐らく55年に登場したモスクビッチG1だと思われます。これは本来レコードカーに入る...

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モスクビッチG5

G4で成功を収めたモスクビッチ。彼らの頭には若干であるが「F1世界選手権」という文字がちらつき始めていた。こうしてI.グラディリンが主導し「西の」F1マシンがデザインされ始めた。しかし、計画が開始されたのは65年と時期が余りにも悪かった。エンジンは同時に開発がスタートしたモスクビッチ「GD-1」と称する新型の1.5L V8エンジンを搭載することが決まった。GD-1は計画では200hpを叩き出し、最初のテストでは162hpを記録して...

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モスクビッチG4

61年に送り出したG3が中々の成功作となったモスクビッチだったが、G3は重量過多をはじめにいくつかの問題もあった。また世界的にはミッドシップレイアウトがフォーミュラの主流となっていた。ソ連内でも実際59年には「オールド・トーマス」と名付けれたミッドシップレイアウトを持つマシンが登場しており、62年にはズヴェズダーで名を馳せたNAMIが074を纏め上げ選手権に姿を現していた。この流れに乗らなければワールドスタンダー...

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モスクビッチG3

速度記録では優秀な戦績を叩き出したが、肝心の国内選手権ではついに勝利に恵まれなかったG1/G2。もちろんこの結果をよしとするはずもなく、60年1月には新型車の計画が始動した。デザインはI.グラディリンによるもので、彼の属するMZMAと呼ばれるワークショップが主導した。翌年4月に完成したのがこの「G3」である。G1と違いフロントにエンジンを置いたのが特徴だが、世界的に見るとやや遅れてるようにも思える。閉鎖された共産主...

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モスクビッチG1/G2

モスクビッチはソ連選手権に404スポーツを54年から送り出し、モータースポーツシーンへの進出をよい滑り出しで飾ることが出来ていた。しかしその年は勝利に恵まれることはなく、奮起したモスクビッチでは本格的なフォーミュラカーを製作する計画が持ち上がった。この計画は55年に始動した。しかしわざわざ新規の機構を開発するのは面倒くさかったようで、市販車に向けた実験的な部品をそのまま流用したらしい。基本的な設計はI.グ...

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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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