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メーカーから読むDTM史(オペル・88-90年)

70-80年代にラリー活動で好成績を収めていたオペルであったが、ことサーキットレースとなるとメーカーをあげての参戦にはかなり消極的な姿勢が続いた。それは87年からのヨーロッパ・ツーリングカー選手権の消滅によるドイツ・ツーリングカー選手権活性化の流れにあっても同様であった。しかし拡大する選手権は同社においても見過ごせる存在ではなく、88年に重い腰をあげて「オペル・モータースポーツ」としてマシンを投入すること...

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レーシングオン

DTM/ITCとBTCC回ということでつい財布が緩んでしまいました。BTCCはあんまり読んでないのでDTM/ITCに絞った感想を。さて内容ですが、結構濃いですね。クラス1については多少知ってると自負している私も所々で唸らされました。ただ3メーカーワークスに完全に絞ってるところが少し残念といえば残念かもしれません。フォード・マスタングが見たかった…また例のザクスピード製カリブラV6が出ていますが、それを出すならE36のクラス1や...

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フォード・マスタング DTM(93-94)

ドイツのルーシュ兄弟は「ゲルト・ルーシュ・モータースポーツ」を立ち上げ、88年よりマスタングをDTMに送り込んでいた。91年には一時3台を送り込む(ゲルト・ルーシュ、ユルゲン・ルーシュ、フレッド・ラケル)など、チーム体制の拡大が進められていた。翌92年にはさらにチャレンジャー・チームのユルゲン・フォイヒトにマスタングを与え、4台ものマスタングを送り込んでいた。500hpに迫る大出力を誇るマスタングは、パワーにものを...

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ハイテクの鎧 ―ドイツで咲いた「近代戦車」―(後編)

95年、DTMにさらなる転機が訪れる。これは破滅への道となったが…。まずはこの人気ぶりに目をつけたFIAがDTMを国際シリーズに格上げすることを提案。FIAはすぐに国際シリーズ一本化を行うことを望んだが、とりあえずはドイツ国内のDTMシリーズと欧州諸国を転戦するITCSの二本立てで95年が開催されることになった。また規定も若干変更された。前回書いた通りだがトランスミッションが電気的或いは油圧での制御でも許可されるようにな...

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ハイテクの鎧 ―ドイツで咲いた「近代戦車」―(中編)

91年、後のDTMの運命を決める決断が行われた。それは93年からグループAからクラス1規定を導入することであった。当時FIAが定めたグループAに代わるツーリングカー規定としてクラス1規定とクラス2規定があった。DTMは前者を選択した。この決断の理由はややハッキリしないが、クラス2は2LNAエンジンのためメルセデスがエンジンを作りづらかったので2.5LNAのクラス1を選んだのではないか。当時のDTMはメルセデスの思惑が多分に影響し...

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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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