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ハディ-9

1969年、最高速分野の雄であったウクライナのハディとハリコフが共同で行う計画を始めた。目標は世界最速 ―この当時の世界最速記録は「スピリット・オブ・アメリカ ソニック-1」の966.971km/h。アメリカ人の記録をぶち破ることはかなりの意味があると思えたのだろう。デザイナーにA.ザゴボロヴァらを据え、2社は1200km/hを目指し設計を始めた。見ての通り、スペースフレームである。ボディにはファイバーグラスを採用している。軽...

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ソ連とF1の関わり

現在、F1ではヴィタリー・ペトロフに始まるロシア人ドライバーの誕生やラーダの支援、グランプリの開催など着々とロシアが入り込んでいる。ルイス・ハミルトンがプーチン大統領にシャンパンをかけてしまったことなんかは記憶に新しいところだ。では、ソ連時代はF1と関わりがあったのか?実はモスクビッチやハディがマシンを製作しているが、エンジンの出力が致命的に足りず参戦にはこぎ着けていない。こちらはいずれ扱う予定だ。ま...

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謎のエストニア21?

現在もエストニアは様々な国でヒルクライムや草レースで使われています。特に生産数が多く性能が高い21M/.10や25はよく見ますね。しかしYoutubeでEstonia 21と調べるとなにやら怪しいマシンが…。(リンクは貼りませんがEstonia 21で調べると出てくるはずです)見て分かる通り21とは全く異なるスタイリングです。24やエステック884を彷彿とさせます。彼のFBにはこの「エストニア21」の写真があります。ではエステック884とエストニア2...

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(ようやくの)ここを紹介

…完全にやり忘れていました。ここは一応人に見せるブログの体裁を取っていますが、実態は自らの記憶能力には限界があるので備忘録として書いている程度に過ぎません。なので読みにくいとかあるかもしれませんがご了承下さい。一応意見があったら色々と取り入れるつもりではいるのでコメントかTwitter(@Kumaryoong)までどうぞ。さて、ここでは何を書くのかというとメインは趣味で調べている共産圏のモータースポーツ文化とサイエン...

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SKEM-03/05

かなりの謎に包まれたマシンである。まずこのマシン、フルサイズのモックアップまでしか完成してないのだから。1983年、既存の価値観にとらわれない組織を目指してウクライナ西部のリヴィブにA.アトヤンとE.モスィパカとF.フェニオヴァからなるデザインワークショップが誕生した。恐らくこのワークショップがSKEMという名なのだろうが確証はない。ともかく彼らは新しいマシンの製作にとりかかった。86-87年に作業は進み、第1号のマ...

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エストニア26/26/9

91年12月、皆さんもよくご存じの通りソ連は解体された。その僅か4ヶ月前にエストニアが独立を回復し、国際社会への仲間入りを果たした。こうしてTARKもソ連からエストニアのコンストラクターになった。…といってもとくに変わったことはなかったのだが。とりあえずマシンは25をしばらく生産し続けた。94年までにソ連時代合わせて66台生産したのは以前の通り。94年にTARKはエストニア26を発表した。規定的にはF4を目指したものでロシ...

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BMW 2002 TiG

「えっ、BMW?バイハツ?」という声が聞こえてきそうだ。BMWには違いないのだがただのBMWだったらここで紹介するはずがない。まずはこちらを見ていただきたい。これを見たときの私の第一印象は「…何だこれは」だった。恐らく皆さんも同じような感想を抱いていると思う。それもそのはず、バンパーにはBMW 2002 TiGの文字が誇らしげに入っているし、エンブレムも描かれている。ところが、フロントはどのように見てもポルシェ911。し...

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チェコスロバキア選手権の悲哀

何もソ連だけが東側諸国モータースポーツではない。今回はやや西欧に近いチェコスロバキア(以下CSSR)について記そう。1970年、CSSRでレースシリーズが起こった。割と何でもありでスポーツカー、市販小型車ベースのツーリングカー、果てはグループ5まで出場する謎のカテゴリーとなっていた。CSSRということで西側からも参加者が押し寄せたが、結果的にこれがシリーズを滅ぼすことになる。これを見てほしい。70年の画像でこの910と90...

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GAZ「TR」

ズヴェズダーに続きまたもレコードカーです。ここではその中でも特に珍妙なマシンを紹介。不思議なボディは後方に何やら怪しい、しかし何かすぐにわかるモノが存在する。そしてやたらと高い車高…例えが悪いが上陸した巨大魚のようだ。この計画は1952年にスタートした。世界で初めてターボジェットエンジンを車に積み、当時の世界最速記録を樹立することを目標とした。A.スモリンがデザインの指揮を執ったTRは700km/hを記録すること...

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地上の''Zvezda'' -ペルツァーの挑戦-

''Zvezda''、ロシア語で「星」という意味を持つ言葉である。ソビエトにとって星はまさにシンボル…その名を冠するコンストラクターがモスクワにあった。今回はズヴェズダーについて記そうと思う。アレクサンダー・ペルツァーには野心があった。彼の手元には同時にドイツの2輪DKWのエンジンがあった。ペルツァーはこのエンジンにスーパーチャージャーを載せ最高速トライすることを決めた。1946年4月、ペルツァーは「ズヴェズダー」と...

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エストニア一強の理由を考察する

「なぜソ連モータースポーツはエストニアが強いのか?」これは私にとって非常に大きい問題だった。ソビエト・フォーミュラ1という独自選手権が60年に始まったのが大きなモータースポーツの始まりと言え、初期はモスクビッチやヴァルトブルグが争っていたのだがエストニア6やエストニア16がデビューした60年代後半~70年代初頭からエストニアがこの世の春を謳歌しているのである。この辺りはモスクビッチの大成功作G5Mがまだ競るこ...

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エストニア25

エストニア24がまともなマシンにならなさそうなことが発覚した87年、TARKは早くも次期マシンのプロジェクトを立ち上げた。次こそはフラットボトムのモノコックマシンを作り上げるという意気込みを表すかのように目標は「国際標準のF3レベルのマシンを」となった。デザイナーはエステック884で忙しいラウル・サラプに代わってA.サドウスキーが指揮を執ることになった。87年末にこのプロジェクトは本格的にスタートした。柱となった...

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TARK JK173

1989年、ドイツF3に突如TARKという名が現れた。彼らは遂に西側のモータースポーツに挑戦することを決めたのだった…と言っても、その20年前にもエストニア9を使ってF2に出場した記録があるらしいのだが。ともかく、このような機会は非常に珍しいことであることは間違いはなかった。彼らが投入したのはこの妙ちくりんなカラーに彩られている「JK173」2台である。同年代のドイツF3の主流ラルトRT33と比べてみよう。これはデイビッド・...

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エステック884

1986年、何とソ連と西ドイツでジョイントしたコンストラクターが起こった。エステック(Esttec)というそのコンストラクターは最初にスカンジナビア・フォーミュラ4(この選手権、調べても詳細が出ません…情報求む)に照準を定め早速マシンデザインを進めた。デザイナーはお馴染みのラウル・サラプである。サラプは既にフラットボトムマシンである24をデザインしており、今回のF4マシンも24をベースにすることを決めた。アルミモノコッ...

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エストニア24

85年、FIAのフラットボトム化にようやく対応する気になったTARKはこの機会にと初めてモノコック形式を採用して新型フォーミュラを作る計画を立てた。デザイナーに成功作21を作り上げたラウル・サラプを据えてこの計画はスタートした。サラプはこれまたロータスに範を取り今度は94Tを参考としたと伝えられている。完成した24。サイドポンツーンの切り欠きが非常に特徴的である。94Tにも確かに見られるが24のそれは大きくATS・D7を思...

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エストニア21M/21.10

1983年、ラウル・サラプの手によって好成績を収めたエストニア21だったが、21はあくまでプロトタイプに過ぎず先代20のように大量生産するには様々な改良を行う必要があった。そこで1984年、TARKは21に生産向けに改良を施したプロトタイプを4台作り上げ、ソ連代表チームの4人(トーマス・ナパ、トイヴォ・アスマー、アヴォ・ソーツ、ウルマス・ポルド)に与えた。一見違いが分からないが、15kgのシェイプアップを果たしている。この21...

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東側諸国モータースポーツのススメ

始めになぜこんなものにハマってしまったのか自分の流れを書いておきます。東側諸国の自動車産業は自分にとって前々から非常に気になるジャンルでした。ラーダ、モスクビッチ、ポルスキ・フィアット、ダチア、シュコダ、メルクス…パッと浮かんだだけでも結構ありますね。ある時、ツイッターで見かけた「ソ連製F1カー」という文が突然思い出されました。好きだけど無知なその時の私はてっきりラーダ製だと思い込んでしまい(後にこれ...

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エストニア・21

1980年、エストニアのレーシングカー・コンストラクターのTARKでは全く新しい試みが始まっていた。その試みは当時世界中を席巻していたグラウンドエフェクトカーを持ち込んでフォーミュラ・イーストやフォーミュラ3で自社の圧倒的優位を維持しようというものだ。デザイナーに当時TARKのテストドライバーを務めていたラウル・サラプを据えて計画はスタートした。彼はまずグラウンドエフェクトカーの先駆者であるロータスの当時のマ...

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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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