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チェコスロバキア選手権の悲哀

何もソ連だけが東側諸国モータースポーツではない。今回はやや西欧に近いチェコスロバキア(以下CSSR)について記そう。

1970年、CSSRでレースシリーズが起こった。割と何でもありでスポーツカー、市販小型車ベースのツーリングカー、果てはグループ5まで出場する謎のカテゴリーとなっていた。CSSRということで西側からも参加者が押し寄せたが、結果的にこれがシリーズを滅ぼすことになる。


これを見てほしい。70年の画像でこの910と906はこのままのオーダーで1-2フィニッシュを成し遂げた。とてもCSSRのレースには見えない。ドライバーは二人ともオーストリア人で、西欧ではよい戦績は残していない。
一方の東側勢は…主に小型スポーツカー、メルクスRS1000(エンジンは何とヴァルトブルグの2スト!)やシュコダ1000MBである。



上がシュコダ、下がメルクス。いくらなんでも910やら906と同じ土俵は酷すぎる。

もうお分かりいただけただろうか。CSSR選手権はCSSRで一番速い人間を決めるもののはずが西欧で奮わないドライバーがマシンを持ち込んで弱いもの虐めをする場となってしまっていたのだ。にもかかわらずスペクテイターからは西のマシンが見られるということで好評を博し、しばらくこの歪な勢力図のシリーズは続くのである。

最盛期でかつもっとも地元勢が可哀想なのが78年のピエスタニー飛行場戦である。ではまず地元勢のマシンを見ていこう。


こちらは(恐らく)CSSR製の小型プロトMTX2-03。フォードの1.3L L4を搭載している。


これも(恐らく)CSSR製のプロト、Giom-3。こちらはVAZ製の1.3Lを積んでいる。

では西側勢を見ていこう。


何とシュニッツァーのマルニGr.5である。78年にはDRMから一線を退いていたが、ここでは強力なマシンだっただろう。ここでは2位を獲得している。


こちらはジョリークラブが持ち込んだエスコートRS2000である。ドライバーのマルティノ・フィノットも有力ドライバーであり大差で優勝をかっさらっている。
…8年たっても状況は変化していなかった。たまに地元勢プロトも勝ってはいたが、圧倒的に勝利数は西側勢が勝っていた。

非常にむごいこの状況を見かねたのか、79年に主催者は地元勢救済を発動する。しかしその手法は余りにも派手すぎた。何と西側からの参戦者を一掃したのだ。これにより参加者と車はCSSRか東ドイツとなり、どう転んでも東側勢が勝つようになったのだ。

しかし人気は急激に下がり、80年にシリーズは崩壊した。スペクテイターにとって興味は西側レーシングカーであり、東側のプロトやツーリングカーなど興味はなかったのだ。
これはCSSRという国だからこそ起こった盛況と衰退であり、なかなか興味深いものがある。短絡的な規制は、何ら良いことをもたらさないのだ。
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ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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