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エストニア26/26/9

91年12月、皆さんもよくご存じの通りソ連は解体された。その僅か4ヶ月前にエストニアが独立を回復し、国際社会への仲間入りを果たした。こうしてTARKもソ連からエストニアのコンストラクターになった。…といってもとくに変わったことはなかったのだが。

とりあえずマシンは25をしばらく生産し続けた。94年までにソ連時代合わせて66台生産したのは以前の通り。

94年にTARKはエストニア26を発表した。規定的にはF4を目指したものでロシア・フォーミュラ1600やスカンジナビアF4に送り込まれていたようだ。


エストニア初のフォーミュラカーと言えるかもしれない。25との大きな相違点はサイドポンツーンの処理。綺麗な曲線を描き高さがあるデザインはV12時代のフェラーリのようだ。またフロントのバルジが小型化されている。
エンジンはVAZの1.6Lが搭載されていたとVWゴルフGTiのエンジンが積まれてたとの2説がある。いずれにせよ今日残ってる26はどれもVWエンジンのようだ。情報が全くといって良いほど無いが、他の部分は25と共通だろう。

しかし型落ちのダラーラやレイナードが入るようになったときにいまさらエストニアのコンストラクターのマシンを買うエントラントなどほとんどいなかったのである。売り上げは悲惨でモディファイ型の26/9がデビューする2000年までになんと僅か6台しか作られなかった。


2000年、TARKはKavor Motorsportと名前を変えた。その意気込みを表すかのように26に大幅なてこ入れを行った26/9を発表した。
空力とサスペンションを改善し(具体的にどこが変わったかは不明)エンジンをドライサンプ化、ギアボックスもヒューランド…何かもう普通のF4である。
この26/9、たったの1台しか作られていない。一気に競争力があるマシンが流入してきた東欧、北欧、またロシアではもうKavorのマシンは戦えないものと認識されてしまっていた。

とりあえず26は98-02年にフォーミュラ1600に参戦していたようだが、戦績も全く不明である。まぁとても21世紀に戦闘力を保ってたとは思えない。

Kavorは27製作を計画していたが、これは流れてしまう。彼らは26/9を最後にレーシングカーの製作を止めたのだった。45年近く続いたエストニアブランドの終焉だった。
だがTARKは別の形で生き残る。CEOであったユハン・セインがタリンの学生フォーミュラを指導したのだ。TARKの経験と知識が学生に叩き込まれ、好成績を獲得したのだった。

現在、Kavor Motorsportのサイトはとりあえず残っている。Google Mapではあることになっているが、その地点は完全に林となっている。

58年に1を世に送り出してから常に第一線で活動した東側諸国でのTARK。最新技術を彼らなりに持ち込み、圧倒的なシェアを獲得したソ連でのTARK。海外に出向き、ドイツメーカーとジョイントしたTARK。そして、西側からの風に飲まれて息の根を止められたTARK。エストニア、ソ連だけではなく東側諸国のフォーミュラの歴史を造り上げ、その名ははるかドイツや北国にも刻んできたレーシングカーコンストラクターのTARKは、2000年を最後に新車を発表していない。
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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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