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ハディ-9

1969年、最高速分野の雄であったウクライナのハディとハリコフが共同で行う計画を始めた。目標は世界最速 ―この当時の世界最速記録は「スピリット・オブ・アメリカ ソニック-1」の966.971km/h。アメリカ人の記録をぶち破ることはかなりの意味があると思えたのだろう。

デザイナーにA.ザゴボロヴァらを据え、2社は1200km/hを目指し設計を始めた。


見ての通り、スペースフレームである。ボディにはファイバーグラスを採用している。軽量を優先した結果だ。要となるエンジンはRD-9BFを搭載する。MiG-19から拝借したようで、アフターバーナー使用時には実に推力3750kgfを記録するものだった。GAZ-TRの時代から大幅な進化を遂げている。
フロントタイヤは非常に小さく細く、また間隔も狭い配置を取っている。これはFIAの「4輪でなければならない」という規則に対応した苦肉の策と言える。制動装置はパラシュートとエアブレーキと車輪ブレーキを採用。



ボディデザインには試行錯誤が見られ、当初は1枚目のような独特なデザインだったがすぐに改められたようで、製作されたものはまだ普通のスタイルをしている。航空機から主、尾翼を取り去ったかのようでもある。

いくら最高速で実績を持つ2社とはいえ、このようなマシンは当然初めてでなおかつ高い技術力を要するために開発は困難を極めた。それは9が完成したのが78年という年月からも分かるだろう。その間に最高速記録が更新されなかったのがせめてもの救いだったと言えよう。


シェイクダウンに挑む9。ヴォルゴグラードや塩湖などでもテストは行われ、700-800km/hを記録した。しかし、1200km/h達成は疑わしいことも判明してしまった。
また、ソ連には広大な大地がありながら音速が達成出来るような敷地が存在しなかった。ソ連もそのような場を造ってもよかったような気がするが、結局それは成されなかった。こうして9は走る場がないという極めて間抜けな状況に置かれてしまった。


お色直しされた9。78年の青少年科学技術展覧会で展示されたようだ。走る場を失いはしたが、この迫力あるボディや珍しいマシン構成は人の目を引くのに打ってつけであった。…もっとも、これがメインではよくないのだが。

その5年後、「スピード」という映画が製作された。インパクトを狙ったのか、何と9が登場し塩湖を走ることになった。





またもお化粧直しされた9。劇中では「ニードル02 SR」となった9は400km/hを出したようだ。ソ連最速は伊達ではなかった。

その後9はハリコフに戻された。しかし、その際に塩湖で付着した塩を十分に落とすことを怠っていたのだ。何とも馬鹿らしいが、ボディは激しい腐食破壊を起こし、ズタズタになってしまったのだ。用済みのスペシャルマシンを復元する気力もなかったのか現在9は存在しない。恐らく放棄されたのだろう…哀しい最期であった。
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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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