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ハイテクの鎧 ―ドイツで咲いた「近代戦車」―(前編)

息抜きです。たまにはごく普通のモータースポーツも扱っていきましょう。

84年、ドイツプロダクションカー選手権として後のドイツツーリングカー選手権、「ドイチェ・トゥーレンヴァーゲン・マイスターシャフト(以下)」が発足した。Gr.A規定を土台に独自のルールを上手く混ぜ、87年からは有力プライベーターが沢山いる中にBMWやメルセデスなどメーカー系ワークスがどんどん入り込む盛況を見せていた。

転機は90年に訪れた。前年に90GTOでIMSAに参戦していたアウディがフラグシップモデルのV8クワトロを引っ提げてDTMに挑んできたのだ。ボディサイズが一回りも二回りも違うV8での参戦は驚きを持って迎えられたが、アウディには勝算があった。
当時のDTMは市街地や飛行場での開催が多く、そのようなグリップレベルが低いコースでは4WDが有利になるに違いない。また心臓部のV8はライバルを100ps近く上回り、ホッケンハイムを始めとする常設コースでも活躍が期待できるだろう。そして、その予測は間違っていないことが証明される。


編隊を組んで走行するV8。エースのハンス・ヨアヒム・シュトゥックはアヴス・ヴァンストーフ飛行場・ホッケンハイムを完勝、ノリスリンクで1勝をあげてタイトルを獲得した。ノリスリンクから参戦したヴァルター・ロールもニュルブルクリンクで1勝をあげた。十分すぎる戦績だった。

もちろんこれをライバルのBMWとメルセデスは指をくわえて見ているわけではなかった。91年のM3スポーツエボリューションと190EエボリューションⅡにはABSが取り付けられていた。F1と比べても非常に早いものである。しかし全くといって良いほど使い物にならず、ABSを切るドライバーが多い始末だった。しかしこれは、後に始まるハイテクの狼煙だったと言えよう。

一方アウディは苦境に陥っていた。エアロパーツを取り付けパワーを向上させた正常進化のV8エボリューションを投入したが、前年の大活躍を受け最低重量が引き上げられた。開幕戦ゾルダーでは、入賞を争うのが精一杯という惨状を成していたのだった。
これを受け主催は重量を緩和、これにより息を吹き返したアウディはアヴスを完勝。以後も勝利をあげ、フランク・ビエラがタイトルを獲得。シュトゥックもランキング3位と好成績をあげた。しかし、やや強さに陰りが見えたのは事実であった。BMWとメルセデスもM3と190Eに高度なチューンを行い、戦闘力を増していた。




92年、V8エボリューションはさらに苛酷な重量規制を受ける。開幕戦は全車リタイアという体たらく。雪まで降る波乱の展開となったニュルではビエラが優勝をあげたが、ドライとなった第2レースでは次々と脱落した。
アヴスでも勝利をあげられないという厳しい状況に置かれたアウディ。さらに追い討ちをかけるかの如く、新しく投入したクランクが市販車のものと形状が違うと違反を問われた。アウディは市販車のものを再鍛造したと主張したが虚しくも認められることはなかった。アウディはそれをいいチャンスと見たのだろう、ノリスリンク戦を欠場し以後姿を見せることはなかった。

こうして新デバイスを持ち込み革命を起こしたアウディは去っていった。しかし、それは一時代の終わりであり、また新しい時代の始まりであった。翌年、ドイツに新たな革命児がさらなる衝撃をもって登場したのだ。
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ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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