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ハイテクの鎧 ―ドイツで咲いた「近代戦車」―(後編)

95年、DTMにさらなる転機が訪れる。これは破滅への道となったが…。

まずはこの人気ぶりに目をつけたFIAがDTMを国際シリーズに格上げすることを提案。FIAはすぐに国際シリーズ一本化を行うことを望んだが、とりあえずはドイツ国内のDTMシリーズと欧州諸国を転戦するITCSの二本立てで95年が開催されることになった。

また規定も若干変更された。前回書いた通りだがトランスミッションが電気的或いは油圧での制御でも許可されるようになった。これによりセミオートマはもちろんのこと、フルオートマチックも可能になった。
さらにサスペンションもフリーハンドで設計が可能になった。恐らくコストに関しては考えが回っていない。一方アクティブサスペンションは禁止に追い込まれた。

95年に投入されたCクラスは他を寄せ付けないほどに考えられたマシンであった。まずエンジンはさらなるパワーアップが施され450psを発揮。またシャシー構造はコクピットをセンターモノコックとして前後にサブフレームを装備とかつてのグループCを彷彿とさせるものとなっている。これにより極めて高い剛性を実現している。
ミッションは当然のようにセミオートマを搭載。さらにフロアでダウンフォースを稼ぐというツーリングカーでは信じられない空力思想を採用した。



アルファロメオもタイトル奪還に向けてマシンの改良に取り組む。エンジンにニューマチックバルブを採用し30psのパワーアップを実現。シーズン中には電子制御デフやパワーアシストブレーキもテストされた。この年はプライベーターには94年マシンを小改良したスペック1を供給しフロントダクトの大型化とセミオートマ搭載を施したスペック2をアルファコルセのニコラ・ラリーニとサンディ・ナニーニ、さらにユーロチームのステファノ・モデナに与えた。


前年不振に終わったオペルも95年に向けてマシンを大改造した。前年とはまるで形状が違うフロントは積極的に空気を取り込むエアダムに変更。さらに燃料タンクをトランク、ギアボックストンネル左右の3分割配置することによって重量配分改善を行った。さらにフロントエンドを一体化し整備性も向上されている。シャシー開発にはウィリアムズも関わっている。



クラウス・ルードヴィヒがオペルに移籍などドライバーの動きも見られた95年。だが結果的にはマシンのポテンシャルが恐ろしいほどに上昇したメルセデスを駆るベルント・シュナイダーがタイトルをDTM/ITCS両方獲得した。アルファロメオは大不振に陥りシーズン中に94年型の改良マシンを新たに投入する事態となった。DTMではプライベーターのミハエル・バルテルズとクリスチャン・ダナーの3勝のみで、エースのラリーニが未勝利に終わった。ITCSでもラリーニの1勝と低迷する結果となった。
オペルは序盤戦こそトラブルに悩まされたが、後半戦に入るにつれポテンシャルが向上した。メルセデス勢に割って入ることも多くなり最終戦ホッケンハイムではルードヴィヒが2連勝を決めた。

96年、ドイツツーリングカー選手権は消滅した。というのもFIA主導でITC(=国際ツーリングカー選手権)にシリーズが一本化されたのだった。ブラジルと日本への遠征も決まりまさに国際格式のレースとなった。

マシンも各メーカー工夫を凝らしていた。それでは96年に投入されたテクノロジーを見ていこう。

1.ムービングバラスト

メルセデスが使用。メルセデスは唯一のFR使用車であったが、当然トラクションは4WDのアルファロメオとオペルに劣ってしまう。そこで彼らが採用したのは信じられない手法だった。


リアサスの間に四角い枠があるのが分かる。その前方、写真では下の方に何やら四角い板が見えるだろうか。これが「バラスト」である。通常は最前位置(写真の位置)に置かれてブレーキングでの前荷重を助けるが、加速時は油圧によって後方に移動する。これによりトラクション増加を図るわけだ。

2.可変ラジエーターシャッター

全メーカー使用。この機構は公式には「エンジンの水温管理」となっているが実態はダウンフォースとドラッグのコントロールに使われていた。基本的には直線で閉じてコーナー進入で開けるというのが一般的だった。こちらも油圧でのコントロールで、ドライバーが「このコーナーでアンダーステアだ」などとエンジニアに伝えればコンピューターでプログラムを書き換えて動作箇所をすぐ変更することが可能だった。

メルセデスとアルファロメオはフロントバンパーの両サイドのアウトレットにシャッターを持っていたが、オペルは一味違う。


インテーク部にOPEL TEAM JOESTと描いてあるいくつかのフィンがあるのが分かるだろうか。これがシャッターである。写真では見ての通り開いているが、ストレートでは閉じる。閉じた時にはこの文字も綺麗に浮かび上がりショー的効果も抜群というわけだ。

それでは各マシンを見ていこう。


メルセデスの96年型はこう見るとあまり変わってないように見えるかもしれない。しかし、フロアに大改造が施されより効果的にグラウンドエフェクトを利用している。


また、エンジンとサスがこのように一体ユニットとなっている。これでITCの短い第1レースと第2レースのインターバルでも簡単に交換ができるという仕組みだ。


アルファロメオもそこまで変わってないように見える。それもそのはず、既にアルファロメオは開発費の高騰でアップアップし始めていたのだ。そんな中でもライバルに負けないようシーズン中にはニューマチックバルブを採用した90°V6やリアの神経質な動きを抑制するために改良型フロアを投入していたのだが…。また、ABSがボッシュ製になり大幅な性能アップを果たした。


悲願のタイトルを目指してオペルも気合いの入った新型のカリブラを投入した。
エンジンはそれまでの54°V6(市販のカリブラV6ベース)からフェーズ5(いすゞビッグホーン/オペルモントレーベース)と呼ばれる75°V6を投入。これにはコスワースの技術がふんだんに盛り込まれている。だがそれ以上にカリブラの武器は、熟成された極めて珍しい4WDシステムだった。

95年、カリブラDTMの開発を委ねられたウィリアムズは4WDのデメリット、エンジンとフロントデフを持つフロントに重量物が集中し運動性の妨げをしてしまうことを解消することを考えた。それにはエンジンをなるべく後退し、低く置きたい。そこで考え出されたのは特異なレイアウトだった。



2枚目は95年のユニットだが参考になるだろう。つまり、フロント車軸上に置くフロントデフをエンジン直後に置き、前輪への駆動系はそこでコの字のように別れる。別れた先にはエンジン脇に伸びるケースがあり、パワーはその中に並べられたギア列によって前輪に伝えられる。
これにより低重心と車体中心への重量集中という2つの事項が解決したことになる。もちろん投入当初はこの駆動系が仇となりリタイアの山を築いたが、96年には信頼性も向上していた。

3メーカーの意地がぶつかり合った96年ITC。展開は序盤に大量リードを築いたオペルのマニュエル・ロイターをアルファロメオのサンディ・ナニーニとメルセデスのベルント・シュナイダーが追う展開となった。しかしアルファロメオとメルセデスは序盤の低迷が響き、サンパウロでドライバーズタイトルはロイターの手になった。最終戦鈴鹿ではオペルが低空飛行だったため、アルファロメオにメイクスタイトルの可能性が残されていたが、クリスチャン・ダナーがすんでのところでメルセデスのダリオ・フランキッティに抜かれてその望みは絶たれてしまった。遂にオペルが頂点に立ったのだった。

だがあまりのコスト高騰にメーカーは悲鳴をあげていた。オペルとアルファロメオはムジェロで撤退を表明。残されたメルセデスとFIAは最期の刻まで新規参入者を探していたが、その努力は実らなかった。かくしてITCは滅び去っていった。これはクラス1ツーリングカーの終焉を示していたのだった。

ドイツで咲いた「近代戦車」―彼らはわずか4年間の激しい戦いで、ヨーロッパどころか世界を激しく照らし、そして流れ星のように消えていったのだった。
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コメント

No title

怒涛の執筆お疲れ様でした。DTM通しての歴史をひととおり俯瞰する文献ってネットだとありそうでなかったような。それにしても書くのが速い、ぼくも見習わなければ…。

末期DTMのハイテク戦争は本当に技術的におもしろくてワクワクしますね。可変シャッターはあれでダウンフォースそのものを増やすというよりは、開閉によって走行中に空力中心を前寄り・後ろ寄りに調整することが目的だったと記憶しています (コーナーで開けて前荷重をかける、ストレートで閉じてトラクションをかける、的な)。ムービングバラストは、誰だったか「一台か二台以外は動かしていなかった」という証言を見た気がしますね。

ベンツはシリーズの存続にけっこうかけていたようで、96年にはヤングドライバー・プログラムみたいなこともやっていましたし (フランキッティ、モントーヤ、メイランダー)、95~96年は各プライベーターに様々な研究問題を課して過分な独走を防ごうとしていたり、けっこうやっていたみたいです。存続できていたらどうなっていたのか、想像を掻き立てられるカテゴリであることは間違いないですね。

というわけで文字通りの怒濤の執筆でした。このカテは人気が高いわりに微妙に資料が少なくて困る…デスネ。

simacherさん
>可変シャッター
亜久里が「シャッターを閉じるとリアに強いダウンフォースを感じる」と語っていたようです。確かに当時の記事など見ても空力中心を変えるものとして書かれているので、ここは修正するかもです。アルファロメオのエアトンネルもそんな用途でしたね。

>ムービングバラスト
「バラストを載せたマシンしか動かさなかった」との記述は目にしたことがあります。それも書き足さなきゃ…。

メルセデスは常にシリーズの存続をかけて動いていましたね。93年からはザクスピードに委託して「DTM Junior Team」というのも走らせていました。(サンディ・グラウとスティグ・アムトールが所属)
日本メーカーにも積極的に声をかけ、トヨタは割と本気でIS200をベースとして走らせる計画もあったようです。日産もプリメーラITCのイメージCGがあった記憶が…。

もしシリーズが存続していたら…どうなっていたのでしょうか。アルファロメオが巻き返しを図って155に大きなモディファイを加えるつもりだったとは聞きます。戦いはさらに先鋭化し、鈴鹿2分切りも夢ではなかった気もしますね。

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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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