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フォード・マスタング DTM(93-94)

ドイツのルーシュ兄弟は「ゲルト・ルーシュ・モータースポーツ」を立ち上げ、88年よりマスタングをDTMに送り込んでいた。91年には一時3台を送り込む(ゲルト・ルーシュ、ユルゲン・ルーシュ、フレッド・ラケル)など、チーム体制の拡大が進められていた。
翌92年にはさらにチャレンジャー・チームのユルゲン・フォイヒトにマスタングを与え、4台ものマスタングを送り込んでいた。500hpに迫る大出力を誇るマスタングは、パワーにものを言わせ最終戦ホッケンハイムでゲルト・ルーシュが10位に飛び込み、遂に入賞を記録したのだった。



明けて93年、ルーシュ・モータースポーツに転機が訪れた。DTMにクラス1規定が採用されたため、小規模プライベーター救済としてオペル・オメガエボリューションとマスタングGTに大幅なモディファイが認められたのだった。
オメガを使用するキスリングはエンジンのボアアップを行い、エアロパーツの大型化を行った。ルーシュ兄弟もマスタングGTに改良を行うことを決めたが、それはオメガよりも遥かに強烈な印象を残すことになる。



上が93年、下が92年だ。車高はかなり落とされ、フロントにもリップが装着され戦闘的な印象を上げている。オーバーフェンダーも大型化されている。


純正リアウィングのフラップを大型化し思いっきり立てている。考え方としてはM3スポーツエボリューションのエクステンションスポイラーに似ているだろうか。


もちろんシーケンシャルシフトは投入することは出来ず、Hパターンの6速ミッションである。ワークスと比べるといかにもな手作り感が漂う内装である。「漢の仕事場」と形容するのがよいだろうか。



心臓たるV8。93年シーズンは驚くべきことに520hpを発揮していたようだ。これは155V6TIに載せられたV6を100hpほど上回る強力な心臓だった。Ford Motorsportとの刻印があるが、ドイツフォードとの関わりは不明だ。


この年もチャレンジャー・チームのユルゲン・フォイヒトはマスタングを走らせていたが、ルーシュのものとはエアロパーツが異なる。ルーシュのサポートは受けなかったのだろうか。スポンサーにはバッファロー・ブーツがついた。

一方ルーシュ・モータースポーツはラケルが離脱したが、フランツ・ジョセフ・ブローリングが新たに加入し3台体制を継続することができた。No.33がゲルト、No.34がユルゲン、No.36がブローリングだ。スポンサーにはデクラ、プロイセン・ピルがついた。スポットでドマインもついた記録がある。




だが93年のマスタング勢はその勇ましい外観とは裏腹に期待外れの年であったと言えよう。ワークスのアルファやメルセデス勢ははるか先を行き、プライベーターの190EやM3スポーツエボリューションにも苦戦する性能ではどうにもならなかったのが現実だった。カタログスペックでは素晴らしいように見えたが、元ワークス車で軽快な190EやM3と比べると、マスタングはプライベーター製作の域を出ず、また鈍重だった。

それでもゲルトはベテランの維持を見せ、メルセデス勢が総崩れに終わったノリスリンクの第1レースで10位に食い込み、1ポイントを持ち帰ることが出来た。また雨となったアヴス戦でもゲルトがスタート時の接触に巻き込まれボンネットを失ったが、11位を獲得した。このレースではユルゲンも健闘したが、最終的にインターミディエイトで走り続けたことが祟りバーストからのリタイアとなってしまった。


チャレンジャー・チームのフォイヒトは奮わず、シーズン通してリタイアが多かった。最高位は14位となっている。


結果的には前年と変わらない成績に終わったルーシュ・モータースポーツ。しかし写真のように大きなアフターファイアを上げ、またV6やL4が多数を占めるなか豪快なV8サウンドを響かせ疾走するマスタングはファンの心を掴んだ。予選アタックでもマスタングが登場するとワークス勢にも劣らない歓声が上がるほどであり、これにはルーシュ兄弟の大きなモチベーションとなったはずである。

ルーシュ・モータースポーツとチャレンジャー・チームは翌94年も参戦を継続することを決めた。先の記事の通りワークス勢は三つ巴の闘いとなりさらに過激な競争が起きたが、プライベーターに目を向けるとほとんどが190E/C1と昨年型155V6TIに更新されていた。それ以外はと言うと、旧式甚だしい190Eエボ2が1台、スポットでM3スポーツエボが1台、そして昨年登場して散々な結果を見せつけたE36が3台であった。これはマスタングにとってさらなる苦戦が到来することが予測された。



ルーシュ・モータースポーツはゲルト・ルーシュとユルゲン・ルーシュの2台体制に縮小した。ゲルト車はフロントのダクト形状が異なるが、意図は不明だ。一方ユルゲン車は、リアウィングに翼端板らしきものが追加されている。スポンサーはプロイセン・ピルが離脱し、シーズン通してついたのはデクラのみと厳しいものがある。スペックはエンジンが540hpにパワーアップをした以外は変わらない。


チャレンジャー・チームは昨年のルーシュ・モータースポーツのマシンが与えられたようで、前年使用していたものとはダクトが異なっている。しかし、リアウィングは前年チャレンジャー・チームが使用していたものを継続して投入しているようだ。またヘッドライトがブラックアウトされているのも特徴だ。ドライバーはユルゲン・フォイヒトで変わりはない。スポンサーもバッファロー・ブーツだ。


しかしシーズンはマスタング勢に厳しい展開となった。ルーシュ・モータースポーツでさえゲルトが大荒れとなったアヴスで取った12位が最高位。ユルゲンは14位が最高と、91年以来のノーポイントとなってしまった。


それはフォイヒトも同様で、彼は多くのリタイアを喫した。その中にはタイヤが走行中に脱落するというお粗末なものもあった。彼の最高位も14位であった。


94年はさらなる低空飛行となったマスタング。ルーシュ・モータースポーツはとうとうマスタングを諦め、95年はゲルト・ルッフただ一人が94年型CクラスをAMGから買いDTM/ITCSを戦った。またチャレンジャー・チームのフォイヒトも94年限りで参戦を止めた。


何だかよく分からないカラーとなった94年ゲルトのマスタング。この姿でRaceRoom Racing ExperienceのDTM 1992の追加コンテンツに登場し、脚光を浴びている。(もっとも、92年は冒頭にあげたように派手な武装はしていないのだが。)


一方94年フォイヒトのマスタングも残っており、こちらはイベントなどでよく姿を見かける。あの頃からの人気は現在も続いているようだ。
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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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