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モスクビッチG1/G2

モスクビッチはソ連選手権に404スポーツを54年から送り出し、モータースポーツシーンへの進出をよい滑り出しで飾ることが出来ていた。しかしその年は勝利に恵まれることはなく、奮起したモスクビッチでは本格的なフォーミュラカーを製作する計画が持ち上がった。

この計画は55年に始動した。しかしわざわざ新規の機構を開発するのは面倒くさかったようで、市販車に向けた実験的な部品をそのまま流用したらしい。
基本的な設計はI.グラディリンが行った。シャシーはスチールパイプによるフレームにアルミボディを架装したものである。前後サスペンションは市販車の401と変わっておらず、不安が残るものである。

エンジンはモスクビッチ405と呼ばれるものである。70hpを絞りだした。これに4速ミッションを組み合わせたユニットは、フロントではなくリアに置かれる。またステアリングギア比を小さくし、ヨー応答を高めている。


55年に「G1」と名付けられたマシンは登場した。…なんだか残念な見た目ではある。フロントに開けられたダクトのせいだろうか。

同年には既にユーリ・シヴィロフの手によりソ連選手権に参加し、速度記録会にも姿を現したようだ。しかし、ソ連選手権の方は無念のリタイアに終わる。勝ったマシンがモスクビッチ401というのもまた皮肉であった。速度記録会では190km/hを叩きだし、ポテンシャルを示しただけに残念である。


シヴィロフは56年にG1にホイールカバーを被せ、ストリームラインボディを架装した。このG1を「G2」と呼ぶ向きもある。


これが「G2」と扱われるマシンである。正直ホイールとカラー以外同じにしか見えないが、別のマシンなのだろうか。

ussr-motorsportによると「G1をベースにしたレコードカーを作ろうとI.グラディリンがエンジンを強化し、ストリームラインボディを架装したものがG2。しかし56年にユーリ・シヴィロフも同じ事を行い、両者の差が「たまたま」無くなった」ということのようだ。よく出来すぎた話のように思えるが…。
しかし、乾燥重量はさすがにメーカーが製作した方がアドバンテージがあったようで、10kgも差をつけている。


同年に早くもキャノピーが付けられクローズドとなったG2。ドライバーにはなぜかユーリ・シヴィロフを据え、3つの国内記録を更新したようだ。

先程のG1はストリームラインボディのまま59年までソ連選手権に参戦していたようだが、大した戦績は残してないのでしばらく出てこない。
一方G2はというと59年にキャノピーを外されソ連選手権に参戦した。ドライバーはE.ベレトフのようだ。


こちらがその時のG2。リアタイヤのフェアリング形状が異なることがわかる。
ミンスクで行われたレースで堂々1位となったベレトフ。ところが何と、彼は選手権1位の座を取り消されてしまう。その理由は何なのか…全くはっきりしないのが恐ろしい。
G2はその後レースに出場した記録は残されていない。

一方G1は60年にまたもオープンホイールに戻され、ソ連選手権を戦っていった。


55年と書かれているが騙されてはいけない。フロントの形状が異なることがわかるだろう。
この時にはサスペンション、ブレーキ、トランスミッションを407のものに変更するなどオリジナルからはかなりの進化を遂げていた。ドライバーはE.ベレトフである。


ベレトフは62年に選手権2位の座につき、存在感をアピールした。だが、59年の無念を晴らすことは出来なかった。

G1は63年まで走ったが、その後はスクラップとなったようだ。G2も同じ路を辿ったようで、現存車は存在しない。
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ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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