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モスクビッチG3

速度記録では優秀な戦績を叩き出したが、肝心の国内選手権ではついに勝利に恵まれなかったG1/G2。もちろんこの結果をよしとするはずもなく、60年1月には新型車の計画が始動した。デザインはI.グラディリンによるもので、彼の属するMZMAと呼ばれるワークショップが主導した。


翌年4月に完成したのがこの「G3」である。G1と違いフロントにエンジンを置いたのが特徴だが、世界的に見るとやや遅れてるようにも思える。閉鎖された共産主義国としては頑張っているだろうが…。
シャシーはごく一般的なチューブラーフレームである。そこに載せられるのはアルミボディだ。
駆動系や脚回りは相変わらず流用の嵐であり、前後サスペンションは407、トランスミッションとリアのショックアブソーバーとステアリングは410Nからである。流用とは言え、フロントサスが独立懸架であるのは評価が出来る。

エンジンにおいても407用を流用しているが、圧縮比を高めキャブレターを変更するなどのチューニングが成され70hpを発揮した。

こうして完成した61年のソ連選手権にG3は出場した。ドライバーはユーリ・シヴィロフである。


シヴィロフはニューマシンの力を見せつけ、見事この年のソ連チャンピオンの座に輝いた。

このように輝かしいデビューを飾ったG3。しかし654kgと非常に重い重量は問題視され、3台製造する計画は無くなってしまった。その代わりとして、手持ちのG3にチューニングを施すことに決めた。
ホイールサイズを変更し、エンジンもピストン、カムシャフト、キャブレターを交換。これにより最高出力は76hpに上がった。

改良型のG3は62年にまたもシヴィロフの手に託され、ソ連選手権にエントリーした。


シヴィロフはまたもチャンピオンに輝いている。問題を抱えたマシンとはいえ、ソ連の中では他を圧倒する力があったと言えよう。翌年はE.ベレトフがG3をドライブしたが、惜しくも2位となっている。G3は65年までソ連選手権に参戦した。

66年にG3はとある工場で何故かエンジンが初期型に戻され、同年の選手権にエントリーする予定があったようだ。しかし受け入れられるはずもなく、そのまま歴史からフェードアウトしていったのだった。
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ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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