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モスクビッチG4

61年に送り出したG3が中々の成功作となったモスクビッチだったが、G3は重量過多をはじめにいくつかの問題もあった。また世界的にはミッドシップレイアウトがフォーミュラの主流となっていた。ソ連内でも実際59年には「オールド・トーマス」と名付けれたミッドシップレイアウトを持つマシンが登場しており、62年にはズヴェズダーで名を馳せたNAMIが074を纏め上げ選手権に姿を現していた。
この流れに乗らなければワールドスタンダードどころか、国内でさえ取り残されてしまうと危機感を持った彼らは、62年にG1以来のミッドシップのフォーミュラをデザインし始めた。



こちらが完成した「G4」である。やや頭でっかち感は否めないが、素直に先進的で速そうなデザインである。
シャシーはごく一般的なチューブラーフレーム。ボディはアルミだ。エンジンは相変わらずの407用ではあるが、ピストン、カムシャフト、キャブレター、イグニション等を交換している。これにより76hpを発揮したようだ。
フロントサス、前後ブレーキ、トランスミッションもこれまた407の流用であるが、特筆すべきはリアサスにも独立懸架を採用し、モスクビッチ初の四輪独立懸架となった。
また燃料タンクはコクピットサイドに配置されている。

G4は63年4月に最初のテストを終え、同年のソビエト・フォーミュラ1をユーリ・シヴィロフの手によって勝利している。鮮烈なデビューだった。
この結果に満足したMZMAとモスクビッチはもう2台G4を製作した。


こちらはその1台。ややフロントが小振りになっているようだ。

64年は惜しくも2位となってしまったG4は、65年に3台全てがさらなる改良を受けた。
その内容はと言えば新たに408用のエンジンが載せられ、そこにウェーバー製のキャブレターを装着した。それに伴いカムシャフト交換、エキゾースト見直しもなされ出力は81hpとなった。これを「G4A」と呼ぶ。


これがG4A。フロントを見る限り1号車ではなく2or3号車をベースにしたもののようだ。

G4Aは65年にまたもソ連F1のタイトルを取り、破竹の勢いと言えた。しかしG4Aの1台はクラッシュによって失われ、残りは2台となる。
モスクビッチは改良の手を緩めず、残った2台に412用のエンジンを採用し一気に92hpまで出力を向上させた。これを「G4M」と呼ぶ。


これがG4M。1号車をベースにしてるようでフロントが巨大だ。
66年に投入されたG4MはV.バヴノフの手によりまたもソ連F1のチャンピオンに輝いた。しかし流石にいくら優れているとは言え4年前の基本設計なので、この66年がG4Mでの最後のタイトルとなった。

68年に2台の内の1台が新型車のG5製造に流用されたため、G4Mは残り1台となった。残った1台は69年に412-2Vと呼ばれるレーシングエンジンと5速ミッションを換装し、何と72年まで戦い抜いたと言う。
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ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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