記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

モスクビッチG5

G4で成功を収めたモスクビッチ。彼らの頭には若干であるが「F1世界選手権」という文字がちらつき始めていた。

こうしてI.グラディリンが主導し「西の」F1マシンがデザインされ始めた。しかし、計画が開始されたのは65年と時期が余りにも悪かった。
エンジンは同時に開発がスタートしたモスクビッチ「GD-1」と称する新型の1.5L V8エンジンを搭載することが決まった。GD-1は計画では200hpを叩き出し、最初のテストでは162hpを記録していた。但し、当時ロータスが積んでいたコベントリー・クライマックスV8は212hpを発揮しており、やや力不足と言えた。そして何よりも、当時のソ連では伝わっていなかったのかも知れないが…1.5L NA規定は65年限りであった。


こちらがGD-1エンジン。同時期の傑作コベントリー・クライマックスと比べるとやや古くさい印象が残る。GD-1の開発は難儀を極め大変な道のりがあったが、これに関しては別項を立ち上げたいと思う。当時のソ連自動車メーカーで1.5L NAのV8を200hpまで引っ張りあげることが現実的な目標であったことはただただ驚きである。


新設計のギアボックスは5速である。ただし見て分かるように極めて大きく、他のF1マシンでもここまでのものはなかなか見られない。トラクションはよくかかりそうだがハンドリングに悪影響を及ぼしそうだ。希にみる大パワーのGD-1ならまだしも、後年積まれたモスクビッチ412エンジンではデメリットしかなかったであろう。

シャシーに関しては成功作となったG4を踏襲することが決まった。その中でもF1マシンに相応しい改良はちゃんと行われた。特にリアサスは新設計がなされ、ブレーキもロシア初の全輪ディスクブレーキを搭載した。
ボディデザインには風洞を使用し空気抵抗削減を詰めたようだ。

こうして進んでいった「G5」計画だが、思わぬところから待ったがかかった。それは政府だった。
モスクビッチはバッサリ予算を削減され、社内の事業を整理せざるを得なくなった。当然モータースポーツなどという不要不急の分野に掛けられる金は削減される運命にあり、GD-1は開発が中止された。もちろんこれは、モスクビッチF1参戦計画の白紙を意味するものであった。

これにより方向転換を余儀なくされたモスクビッチは、G5を国内選手権用にすることを決めた。エンジンは412用を積み、92hpを発揮するユニットは550kgの車体を200km/hまで引っ張った。


G5は2台製作され、その内1台がG4Mからの改修であった。
ランデブー走行を見せるG5。どちらかがG4Mからの改造だと思われるが不明だ。

明けて69年、早くもG5は改良されることになった。モスクビッチはレーシングエンジンである「412-2V」を開発し終えていた。何とDOHCとなったこのユニットは市販車ユニットの1.5L NA直4ながら遂に100hpの大台を突破し非常に強力であった。なお、ここから続くG5の改良は2台ともが受けているようだ。
同年のソ連F1でG5はさっそくタイトルに輝く。改良の効果は抜群であった。

翌70年、モスクビッチは412-2Vにさらに手を入れ112hpまでに出力を向上させた。これに伴いエキゾーストやロールバー形状の見直しを行った。


しかしこの年はタイトルを奪われてしまう。それは71年も変わらなかった。

72年、モスクビッチはエンジンを1.9Lまでボアアップ。さらにタイヤサイズ変更、オイルクーラーを後方に持っていった。


エンジン上に立ったオイルクーラーが非常に不格好である。しかし改良の効果はあったらしく、72年のソ連F1はY.テレネットスキーが制したのであった。翌年もN.カザコフが制し、まさにG5全盛期と言える。

74年、ボディパネルをファイバーグラスに変え、形状を大幅に変更したG5Mが登場する。この時点では中身には手は入れられてない。


75年には試製1.7Lエンジンを積んだこともあったようだ。しかし、それでレースをしたかどうかはよく分かっていない。型式まで同じ「412-2V」なので困るものである。

G5Mが投入されてからは基本設計の古さが目立ち始め、表彰台圏内は維持していたがエストニア車にタイトルを奪われ続けた。結局76年を最後にソ連F1自体が消滅し、行き場を失ったG5Mは姿を消した。
79年から81年に1台が散発的にレースに出場したという情報があるが、確証の取れるものではない。



83年にG5は2台ともモスクビッチの手に帰ってきたようで、長らく自社の博物館に飾られていたようだ。2009年の閉鎖に伴い別の博物館に移され静かな余生を送っている。このように60年代の共産圏レーシングマシンが残っているのは極めて珍しい。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。