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エストニア21M/21.10

1983年、ラウル・サラプの手によって好成績を収めたエストニア21だったが、21はあくまでプロトタイプに過ぎず先代20のように大量生産するには様々な改良を行う必要があった。そこで1984年、TARKは21に生産向けに改良を施したプロトタイプを4台作り上げ、ソ連代表チームの4人(トーマス・ナパ、
トイヴォ・アスマー、アヴォ・ソーツ、ウルマス・ポルド)に与えた。


一見違いが分からないが、15kgのシェイプアップを果たしている。この21(資料では既に21Mと扱われていることが多い)は活躍を見せ、F3ではトーマス・ナパがシリーズ優勝、フォーミュラ・イーストでもトイヴォ・アスマーが2位とかなりの戦績を見せた。TARKもこの戦績には満足し、このプロトタイプと同じ仕様を「21M」として生産することを決定した。


疾走する21M。エンジンとミッションは旧式甚だしいVAZ-21011とZAZの4速で変わりはなかったがライバルは主に20とその個人改造マシンなので問題はなかった。ただしオーバーステア傾向を矯正するためデリバリー時はどうだったか不明だが少なくともレース時の写真ではリアウィングが大型化されていることが多くなる。最高速は210km/hと公式にはTARKのマシンで初めて200km/hを突破している。

21Mは85年のF3も制し徐々に20を凌駕することが増えてくるようになった。1986年、TARKはトーマス・ナパに前後サスペンション改良と軽量化を施したエボリューションモデルというべきもの「21.10」を投入した。ナパはフォーミュラ・イーストを制し、TARKも87年に生産を21Mから21.10に切り換えた。


走る21.10。これまた違いを見つけるのは困難だがよく見るとカウル形状が異なることが分かる。ボディサイズも若干の変更が見られ、ショートホイールベース化がなされている。VAZ-21011のパワーアップも進み110hpを発揮し、最高速も220km/hに向上を見せている。

87年、実行には移されなかったがウィングカーを禁止するとの情報が流れたため、各エントラントでもボディ改造を行うことがあった。ここで例を3つ紹介しよう。


これはエストニア20を参考とした改造と思われる。サイドポンツーンをカットしウィングカー構造から脱却するオーソドックスなタイプである。一見20かと勘違いしてしまいそうだがフロントサスペンションがインボードであることを筆頭にフロントの形状から21シリーズということがわかる。この個体はリアカウルも改造しているためMか.10かは不明である。


驚きのスタイルである。サイドポンツーンをラジエーター部のみ残してカットしているが、見た目の方には意識が及ばなかったらしい。しかもこの改造、施したのはベラルーシ工科大学だと言うのだから始末に追えない。これはカウル形状からして21.10なのがわかる。それにしてもこの21.10、リアウィングもやたら低い上にフロントもウィングレスでダウンフォースが明らかに足りないと思うのだが…


上とは違って良い意味で驚きのスタイルだ。88-91年に走っていた21.10。製作者はイギリスのレイナード863にインスピレーションを受けたようでサイドポンツーンが酷似している。これも一目見ただけでは21.10とは気付かないがやはりフロントセクションに面影を見ることができる。

21M/21.10合わせて91年にエストニア25にシフトするまでに295台生産された。これはソ連のレーシングカーとして最大の数である。因みに(恐らく)唯一値段のデータが残っており、11460ルーブル(レインタイヤ付き)となっている。大成功作となった21シリーズはソ連の選手権で実に14回の1位、これまた14回の2位、12回の3位を獲得し、現在もかなりの数が生き残っているのである。
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ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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