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エストニア1

1957年、タリンに住むA.セイラーと彼の従兄弟は趣味が高じてTOARZと言うコンストラクターを設立した。セイラーが指揮を執り、デザインが始まった。
57年秋には既に設計が完了し、翌年8月にマシンが完成した。完成したマシンはエストニア人としての誇りをマシンに込めてか、「エストニア」(当時はナンバリングが付けられていなかった)と名付けられた。



59年頃のエストニアだと思われる。スチールパイプのフレームにアルミのボディを架装する当時のソ連では標準的なものである。
サスペンションは前後とも独立懸架を採用している。これは同時期の他社と比べて若干進んでいるようである。
ホイールとブレーキはバイク用をそのまま使っている。見てわかるようにブレーキはドラム式であるが、これは当時のソ連レース界ではごく普通の制動装置であった。

エンジンは「IMZ-M52S」と呼ばれる500ccのごく小さいものを搭載する。これもバイク用であり、当時でもやや力不足は否めないものであった。出力は30hpを発揮する。組み合わされるギアは「フォルクスワーゲン」から流用した4速である。

エストニアは早速10月5日にレニングラードのネヴァ・リンクで行われた「ネヴスキー・オープニングトラック」に送り込まれた。これはその名の通りネヴァ・リンクのオープニングレースであり、お祭り的な雰囲気であったようだ。ドライバーはA.セイラー。


セイラーはアクシデントでレースを去ったが、ファステストラップを記録してポテンシャルを見せつけた。

翌59年からが本番だ。まずは5月31日に行われた「オヤキュラ・ヴァナモイーザ・オープニングトラック」にセイラーの手によって走っている。セイラーはトランスミッションのトラブルによってリタイアしたが、ファステストを記録している。

ミンスクで行われたソヴィエト選手権は最高峰のレースである。TOARZは改良型のエストニア2と3を投入しており気合いを入れてのエントリーとなっている。エストニア1はU.アーヴァに託された。なお1000cc以下クラスでのエントリーである。


マシンフロントにエストニアの文字が描かれているようだ。誇りを持ってエントリーしたのが伝わってくるが、アーヴァのエストニア1はエンジンが力尽きた。エストニア2を駆ったセイラーは僅か2周でアクシデントにより戦線離脱し、エストニア3を駆ったパージクが4位に留まる。

9月には「レース・オブ・ソサイエティ・プライズ」がカレフで開催された。ここではアーヴァがエストニア2に乗ったセイラーに次ぐ2位を獲得しTOARZ勢が1-2を達成する。アーヴァはファステストを獲得した。

翌60年、主力はエストニア2と3に移っていたがE.メシラの手によってソヴィエト選手権に参戦した。マシンはロールバーが露出しているのが目につく。


フォーミュラ3クラスでのエントリーとなったメシラだったが、8月末のネヴァ・リンク戦では15周でエンジントラブルと冴えなかった。

9月10日のイル・リュカティ・クルーストゥリメサ戦は地元ラウンドである。負けられないTOARZ勢だったが、メシラはしっかりと2位に入った。エストニア3を駆ったA.グリフェルが優勝したため、TOARZは完璧な勝利を収めた。メシラは総合ランキングで6位となっている。

エストニア1は優れたマシンだったが、やはり初めてというものなので改良の余地があったのは事実だ。それは早い段階でのエストニア2や3の投入に表れている。
それでもファステストラップの記録など速さでは文句なしであった。

60年末、エストニア1はA.プロメタの手に渡った。そこで彼はかなり大きく手を加えた。
まずはエンジンを当時のスタンダードとなりつつあったモスクビッチ407に換装された。さらにフロントにラジエーターを配置したためにフロントに開口部が開けられた。
サスペンションも何らかの改良が行われているようだ。


ブレーキとタイヤも4輪用となったが、何のものが使われたかは分からない。コクピット後にエアインテークが追加されたように見えるが…?ロールバーはなく初期の姿に戻ったようだ。フロントにラジエーターが置かれたことで印象が一変した。

61年の動向は不明だが、62年のソヴィエト選手権イル・リュカティ・クルーストゥリメサ戦にフォーミュラ・ジュニアクラスからエントリーした。プロメタはTOARZ最上位の8位を得るが、冴えない結果となった。62年の総合ランキングは12位となっている。

63年にもプロメタはソヴィエト選手権にエントリーした。今度はフォーミュラ1クラスにエントリーしたが、ネーマン・リンク戦では早々に戦列を離れてしまう。次のミンスク・ショート戦でもおなじような結果に終わる。結局大改造されたエストニア1は大不振に終わった。その後の消息は不明である。
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ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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