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ウアイラ=プロネロ・フォード/フォード・ファルコンTC

アルゼンチンにはかつてIKAと呼ばれる自動車メーカーが存在し(現在も「ルノー・アルゼンティナ」として型落ちモデル生産を行っている)、その中でも「トリノ」というモデルはその高性能から現地のレースカテゴリーであるツーリスモ・カルテラで活躍したとともに、改造を行うコーチビルダーが何人も登場した。今回の主役であるヘリベルト・プロネロもその一人である。

プロネロは大学で空気力学を学び、ヴィラ・マリアにワークショップを構えた。そこでIKAジープ用のアフターパーツなどを製作していたプロネロであったが、彼の目標はツーリスモ・カルテラで成功することであった。
プロネロは64年にチャンスを掴んだ。ホセ・フロイラン・ゴンザレスとアルゼンチンGMが彼を訪れレーシング・シボレーの製作を持ち掛けてきたのだ。革新的なデザインを盛り込んだシボレーは関係者の目を引き、IKAのレーシングチームに加入した。
ここで彼は67年にリーブレ・トリノのデザインを担当した。エンジンビルダーにも恵まれたこのマシンはシリーズを席巻した。

これに大きく影響されたのはフォードであった。いまひとつ勝ち星に恵まれていなかったフォードは、既に若き天才の評判を確立していたプロネロにニューマシンのデザインをさせればチャンスが見えると踏んだのだ。さらに都合がよいことに、68年を最後に彼はIKAを離れていた。
一方プロネロは66年に「ウアイラ」というスポーツプロトタイプをデザインしていたが、なんらかの理由で実現できずじまいであった。そこでフォードと手を結べば強力な体制下でウアイラを世に送り出せる…運命の出会いであった。

69年にフォードとプロネロは4台のTCマシン(ファルコン)と2台のSPマシン(ウアイラ)の製作を行うという契約を結んだ。プロネロのワークショップは財政的に難しい状況であったが、フォードはF100エンジンを提供すると約束した。しかし、ある条件を満たさなければならなかった。それは選手権の最初の4レースで最も速くならなければならないという非常に厳しいものだった。

一方チーム体制は大きなもので、SPのウアイラにはカルロス・ロイテマンとカルロス・パスカリーニが搭乗した。一方TCのファルコンにはホルヘ・テルネンゴが搭乗し、さらにロイテマンとパスカリーニも場合によってはファルコンに乗る体制だったようだ。

ではウアイラを見てみよう。


どこかで見たようで何物とも違う不思議な感覚を受ける。とにかく低いボディが特徴で、特にフロントはフォードV8が収まっていない。現役当時はインテークらしきエンジンカバーを装着していたようだ。キャビンが大きく、個人的にはデイトナプロトを思い出す。


リアデザインはシェルビー・デイトナを参考にしたのか、ストンと切り落とされたリアにその面影が見える。ロングノーズであるがリアもそれなりに長く、これまでのプロネロの作品とも一線を画す。



上がウアイラ、下がファルコン。ファルコンはボディが19cm長く、タイヤが細い。写真の通りハイウィングを装着していたこともある。

まずは4月18日にコルドバでプロネロ自身がテストを行い、次いで22日にパスカリーニがブエノスアイレスでステアリングを握ったがマシンは大炎上し完全に失われてしまった。散々な状況だが、フォードは支援を続けることを決めてくれた。


ウアイラ登場を報じた地元紙。フォードのブルーオーバルとPRONELLO-FORDの文字がワークス体制を物語る。エッソのロゴが踊るが、これはシリーズのスポンサーであると思われる。

ウアイラのデビュー戦は5月のコルドバである。ここでパスカリーニとロイテマンはセカンドロウを独占したが、トラブルで両名とも戦線離脱する他なかった。


なんとか爪痕を残したいフォード陣営。6月のラファエラ戦はオーバルコースであったが、ここでロイテマンは平均速度231.223km/hを記録しポールポジション、パスカリーニも僅か0.7秒の差で2位に着けた。レースでもパスカリーニがこの年の最高平均速度記録を叩き出して優勝を飾った。彼はウアイラのグリップを絶賛し、素性のよいマシンだと褒め称えた。
これによりフォードからもパワフルなエンジンを獲得することに成功したが、残念ながら信頼性不足に苦しんでしまった。

翌年は規定が変更されオープンボディでなければならなくなった。プロネロもそれに従いモディファイされた。



ドライバーはパスカリーニが継続したが、ロイテマンが離脱してしまったようだ。そのシートには新たにリカルド・ズニーノが収まった。
ウアイラはインテークが外されローマウントのリアウィングが装着された。
特筆すべき結果は出なかったようで、カテゴリ自体の人気も下火になりウアイラも姿を消してしまったようだ。


不思議なのはロイテマン、ズニーノと後のブラバムドライバーがウアイラに乗っていたことである。偶然にしては面白い気がする。
プロネロはプロネロ・リサーチを設立しており、現在も健在である。
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コメント

No title

IKAって見覚えあるなと思ったら昔Wikipediaで読んだ
カイザー-フレーザーの項目に書かれていたやつだった。

>どこかで見たようで何物とも違う
これ凄く念ですね笑
デイトナ・コブラのようなベレットR6クーペのような…
曲線とブルーメタリックの組み合わせがなかなか美しいですね。
クローズドの仕様は何だかアンバランスで笑っちゃいますが。
F100は当時フォードが生産していたピックアップトラックなので
それのエンジンだと思いますが、フォードの繋がりもあって
このブルーメタリックなんでしょうかね。
面白い車の記事ありがとうございます。

Bouさん

>どこかで見たようで何物とも違う
「○○に似てると思ったらなんか違う!」って感じの感想がこれほど似合う車はないでしょうねぇw

> クローズドの仕様は何だかアンバランス
なんでか分かりませんが当時のアルゼンチンのスポーツ・プロトティーポ車輌ってみんなこんな感じでキャビンがやたらデカいのですよね。謎です。
スパイダー化された仕様はとても好みです。

> F100は当時フォードが生産していたピックアップトラックなので
> それのエンジンだと思いますが、フォードの繋がりもあって
> このブルーメタリックなんでしょうかね。

F100ってどこかで聞いたことあると思ったらそれでした!完全に忘れてました…(汗
なるほどこのカラーリングも確かにフォードとの関係が深く現れてる感じですね~

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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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