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TARK JK173

1989年、ドイツF3に突如TARKという名が現れた。彼らは遂に西側のモータースポーツに挑戦することを決めたのだった…と言っても、その20年前にもエストニア9を使ってF2に出場した記録があるらしいのだが。ともかく、このような機会は非常に珍しいことであることは間違いはなかった。

彼らが投入したのはこの妙ちくりんなカラーに彩られている「JK173」2台である。同年代のドイツF3の主流ラルトRT33と比べてみよう。

これはデイビッド・ブラバムのRT33である。比べるとJK173はノーズがやたら直線的で、リアの整流板などは簡略だがトレンドを押さえているそこそこいい線を行っているデザインのように思える。

JK173は完全なTARK製ではなかった。デザイナーは何と当時ザクスピードにいたヨハネス・ナップ、製作はドイツのコンストラクターEufraが担当した。一応TARK初のカーボンモノコックマシンということになるがソ連初のカーボンモノコックマシンとはとても言い難い。エンジンは当時主流のフォルクスワーゲン。スピースがチューニングを担当した。


遂にドイツに姿を現したJK173。エントリー名はEufra Racing。ドライバーはヴィクトル・ロッソとラルフ・ケレナーズとトム・クリステンセン(1戦のみ)となっている。
さて、肝心の戦績であるが何とロッソがRd.2ニュルブルクリンクで2位を獲得するという快挙をあげる。ロッソはその後不調に陥るが今度はケレナーズがコンスタントに入賞を続ける活躍を見せた。最終的なランキングはロッソが29ptsの22位、ケレナーズが75ptsの10位となった。

JK173はその後モナコF3に出る計画があったが、これは流れてしまう。Eufraは翌年からJK173をベースにした390を製作し、TARKはこの経験を元に最期のソ連製フォーミュラ、25を製作することになっていく。JK173は双方にとって非常に意義のあるマシンになったのであった。
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コメント

No title

こちらでははじめまして。

最初の画像、いったいいつ撮られたものなのか「壁の向こうからやつがやってきた!」みたいなケレン味あふれる展示たまりませんw

>田宮さん

ようこそ!こちらでもよろしくお願いしますね。
1枚目の写真は88-89年にモーターショー(?)で展示された際のもののようですが、本当に不思議な見せ方ですw もしかして壁はベルリンの壁に見立てて「東西の壁をぶち壊して協力してマシンを作ったぞ!」っていうのをアピールしたかったのかな…なんて思ったりw

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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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