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エストニア一強の理由を考察する

「なぜソ連モータースポーツはエストニアが強いのか?」
これは私にとって非常に大きい問題だった。ソビエト・フォーミュラ1という独自選手権が60年に始まったのが大きなモータースポーツの始まりと言え、初期はモスクビッチやヴァルトブルグが争っていたのだがエストニア6やエストニア16がデビューした60年代後半~70年代初頭からエストニアがこの世の春を謳歌しているのである。この辺りはモスクビッチの大成功作G5Mがまだ競ることはできていたがエストニア19や20が出た辺りには完全に息の根を止められた。

エストニアの特徴は多少の遅れがあるとはいえ西欧のトレンドをしっかり抑えてくることである。例えばスポーツカー分野ではロシアのZIL(ZIS)が妙ちくりんな車高の高い高級車のようなマシンを世に出すなかクーパーT49のような小型スポーツカー「8」を62年に送り出している。フォーミュラカーでは私の記事を見てくだされば分かるように最新トレンドを追っている。

これについて色々調べてるうちに面白い記述が見つかった。「エストニアはフィンランドと近く、モータースポーツ雑誌をフィンランド経由で入手することが出来た。」…なるほど、それは説得力がある。次いで「北部エストニアはフィンランドのテレビが映ったので、デザイナーたちはF1中継を観て映るマシンの技術をフィードバックした」…非常に怪しい話である。では地図を確認してみよう。


見ての通り両国は非常に近い。そしてエストニアことTARKが存在したのはタリン、思いっきり北部である。
当時のモータースポーツ雑誌がどれほど最新のマシンを細かく扱ってたかは少し分からない部分もあるし、まして画質も悪いテレビ中継ではどう考えても十分な資料にはなり得ないだろう。しかし、中継でどのマシンが速いかをチェックし、雑誌でそのマシンの写真を見てドのようなデザインなのか確認して、自らのマシンにフィードバックする。これなら、少しは考えられるかもしれない。他国はさらに情報入手に苦労してたのだから…。
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コメント

No title

東側の面白いネタありがとうございます。
バルト三国(エストニア・ラトヴィア・リトアニア)は長らく
ロシア帝国・ソ連の影響下にありましたが、実際には
反ソ運動が起きていたりするので、国情的には西側寄りなようです。
他の東側諸国よりは西側の文化に寛容だったのかもしれませんね。
ソ連に反抗心を持つエストニアが合法的にソ連(ロシア)を
打ち破ることができたモータースポーツに人々は熱中したのだろうか…

>Bouさん

コメントありがとうございます。
なるほど…エストニアは反露感情が比較的ある国だったのですね。となると確かにモータースポーツがマシン、ドライバー共にレベル高くなるのも頷けます(ソ連選手権にはエストニアを始めとするバルト三国のドライバーが比較的多いです)。情報ありがとうございます!

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プロフィール

ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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