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地上の''Zvezda'' -ペルツァーの挑戦-

''Zvezda''、ロシア語で「星」という意味を持つ言葉である。ソビエトにとって星はまさにシンボル…その名を冠するコンストラクターがモスクワにあった。今回はズヴェズダーについて記そうと思う。

アレクサンダー・ペルツァーには野心があった。彼の手元には同時にドイツの2輪DKWのエンジンがあった。ペルツァーはこのエンジンにスーパーチャージャーを載せ最高速トライすることを決めた。

1946年4月、ペルツァーは「ズヴェズダー」と名付けたマシンのデザインを始め、7月にはモスクワのオートバイ工場で製作が始まった。10月にはテスト走行が始められていた。ズヴェズダーはソ連では初めてのスピードレコード専用のスペシャルマシンだった。



ズヴェズダーの絵と写真。見ての通り非常に低く小型でありさすがバイクエンジンであると思わせる。エンジンはドイツDKWのUL-350用にスーパーチャージャーを組み込んだものを搭載する。最高出力は42hpとなっている。見ての通りそのユニットはリアに積まれる。ギアボックスはこれまた手持ちのメルセデス170V用を搭載した…どうやってそのようなものを引っ張ってきたのかは大体察することができるだろう。サスペンションはフロントが独立懸架、リアがリーフ式となっている。ステアリング周りはモスクビッチ400から流用している。
デザインに当たって重視されたのはドラッグ軽減だった。パワーに頼れないためよりボディの空力性能は重要だった。ペルツァーはうまくこなし、Cd値0.13を見せている。

11月、遂に記録挑戦の日が訪れた。まずは1kmの直線を走るというものであり、ペルツァーの手によって平均速度139km/hを記録した。しかしそれは路面に氷が張ってるという状況下であった。

その後、ペルツァーはテストドライバーから退き開発者に専念した。もちろん野心は衰えることなく彼はさらにデザインを進めるのであった。

47年に登場したズヴェズダー2はラジエーターをドライバーのすぐ後ろに配置するというデザインになされた。その際ホース類がボディ上に露出するなど空力的に雑な処理を行ってしまう。エンジンはより強力なWS-350用を搭載した。
さらにドライバー周辺の空力改善を行い、ズヴェズダー2はA.ポニゾフキンの手により48年の10月にテストを行った。記録は159km/h。国内最高記録だった。

49年に製作されたズヴェズダー3はより強力なエンジンを求めこれまたDKWのUS-350をベースに「RFP」というエンジンを独自開発した。出力は47hpに上昇した。また冷却系やサスペンションも見直されている。3はまたもA.ポニゾフキンの手により179.3km/hの国内最高記録を叩き出した。

49年末、ペルツァーはソ連の自動車に関する研究を行うNAMIに勤務するようになる。彼はそこで手持ちの3を改良してより高速度を狙うことを考えた。そうして50年に産まれたのがズヴェズダー・3M、別名「M-NAMI」である。





M-NAMIの写真たち。リアがかなりシャープになり、タイヤフェアリングも洗練された印象を受ける。トランスミッションはIMZ-M72の4速を積む。
エンジンではシリンダーとスーパーチャージャーを全面改良した新型を搭載する。これにより一気に64hpまでに出力を向上させた。また110kpもの軽量化を成している。

50年秋には走行が始まり早速よい記録を叩き出すM-NAMI。52年の秋、A.アンブロシェンコにより215.2km/hという国内最高記録を達成した。また250ccの新エンジンを搭載したバージョンも製作されこちらもアンブロシェンコにより189km/hを達成した。まさに栄華を極めたズヴェズダーだったが、結果的にはこれが最高傑作となってしまう。



上のズヴェズダー5はM-NAMIを正統進化したようなマシンである。250ccのユニットを搭載しているがこれが非常な曲者で本調子を出すのが極めて難しいものだった。55年に作られた5は一応250ccクラスでは国内記録を叩き出したが別に作られた350ccや500ccクラスの5は残念な結果になってしまう。

下のズヴェズダー6は今までとは考えを変えたボディワークが特徴である。しかしユニットは問題児の5と同一である。これではどうにもならないものである。6は5より低調な記録しか出せなかった。

また51年にはにはハリコフ出身の名レーサー、E.ローレンの作り上げたハリコフL-1が姿を現し始めた。ズヴェズダーよりも空力に優れたマシンはズヴェズダーの記録を次々と打ち破り、またエンジンも強力だった。

これを見たペルツァーは58年にズヴェズダー6を作り上げたのを最後にレコードカーを製作しなくなった。これは12年間のズヴェズダー・プロジェクトの終焉を意味していた。ペルツァーはしばらくNAMIに勤務していたが、60年頃に離れたようだ。

これ以降はハリコフがしばらく最高速の春を謳歌するが、60年代中盤からハディにその座を譲ることになる。
ズヴェズダーには野心と2輪用エンジンがあった。しかし時代は大型でパワフルなエンジンを必要とするようになり、また2輪用エンジンとて既にパワーアップは限界だった。ハリコフは時流に乗れたが、ズヴェズダーは乗れなかった。こうして星、''Zvezda''のように現れたズヴェズダーは一時代を築き上げ、煌めきを放ちながら星のように消えていったのだった。

2016 1/20 加筆修正
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ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong

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